SEGA

『野球つく!!』

大人になった野球少年たちに贈る

スペシャルインタビュー

不屈の安打製造機 張本 勲

2009年度版データに更新され、期待のルーキーたちも登場。さらに数々のイベントも大好評の「プロ野球チームをつくろう!ONLINE 2」。今回のスペシャルインタビューには、通算3085安打のNPB最高記録を築いた張本勲氏がついに登場。もちろん「野球つく」の世界にも〝最強の安打製造機〟が完全復活をする。ぜひとも自チームに迎えて、最強布陣を敷こう!

ダルビッシュ、岩隈、涌井、それに岸……彼らとは対戦したいし、チームにも迎えたい―――

実際に張本さんのチームをつくって「野球つく」の世界を体験していただきました。

張本
驚きましたよ。私らは昭和世代だけど、設定も細かくてリアルだし、試合を一度と言わず何度でも見たいと思った。難しいし面白い。最初は若手主体のチーム構成で、一軍未経験者も多数出てくるから、タイプや特徴が分からない選手もいる。これはメモを取りながら進めないといけないねぇ。

獲得選手を一人ずつ、成績を見てじっくり吟味しながら、真剣にメンバーを決めてくださいましたね。

張本
若手主体だって、面白いチームがつくれるはずですからね。ゲームの中のこととは言え、真剣になってしまいますよ。だけどレジェンドカードっていうの? 往年のスター選手が2人も出てきましたねぇ。

素晴らしい〝引きの強さ〟でした。

張本
彼らはどうすれば起用できるの?

基本プレイは無料ですが、野球つくコインをご購入されると、レジェンド枠などが当たるルーレットに挑戦できます。

張本
無料というのはすごいなぁ。でもせっかくやるのなら、往年の選手も使いたいものですよ。いまのファンには新鮮だろうし、オールドファンには懐かしい。

そこで是非、張本さんにも〝現役復帰〟していただきたいと思うのですが……。

張本
なるほど、分かりました(笑)。

張本さんは浪商から59年に東映フライヤーズに入団されました。

張本
10球団ほどから誘われて、最後に残ったのが東映と中日。ウチの兄は中日に傾きましてね。スカウトが立派な方でしたし、「この球団なら弟を預けられる」となった。実は契約金も中日のほうが三倍ぐらい高かったらしい。それを知っていたら、私も中日に入っていた(笑)。それに当時、セとパでそんなに人気の差があるとは知らなかったしね。だけど子供心に「東京へ行きたい」って憧れがあった。また、岩本義行監督が同じ広島の出身。さらに浪商の先輩・山本八郎さんもいたりで、結局は私が東映を選んだのです。

高卒でいきなりやれる自信は?

張本
心配だったのが力とスピードで、技術はプロで学べばいいと思っていました。58年の秋に秋季練習で呼ばれ、そこで10日も練習すると、私も体力だけはありましたから「これならいける」という手応えをつかみましてね。東映には松木謙治郎さんが打撃コーチでいたので、春季キャンプで技術をいろいろ教わると、オープン戦の頃にはある程度の自信が芽生えてはいました。

やはりケタが違いますね。

張本
それでもまさか、開幕から使われるとはね。六番・レフトで出たけど三球三振。守っても風の目測を誤ってバンザイ(笑)。これで「明日からは二軍だな」と思っていたのに、次の日も出ろと言う。これには奮起しましたよ。お陰で結果も出てね。

東映と言えば〝駒沢の暴れん坊〟。

張本
皆さんそう言いますが、別に選手が暴れん坊だったわけではない。確かにみんな若かったから、やんちゃな部分もありましたけどね(笑)。それよりも万年Bクラスなのに、上位球団に強かったから名付けられたのです。そんなチームに、巨人から水原茂監督がやってきた。まさか!? と私らも思いましたよ。

61年は惜しくも2位。しかし翌年は、一気に日本一に輝きました。

張本
あの頃、私は二十歳そこそこでしたから、考えて野球をするようなレベルではなく、サイン通りがむしゃらにやるしかなかった。でもそのうちに、だんだんと監督の指示の意味が分かってきましてね。それまでの東映は、一発もあるし20勝投手も出る。序盤に3点ぐらいは普通にリードしていた。なのに相手は余裕の表情なんです。というのは、私らがいずれミスをすると分かっているから。だから東映は万年5位。ハマれば強いけど、崩れると脆い。そんなチームだったんです。

それを水原監督が変えたのですね。

張本
日本一になって、水原監督は「この先10年が大事だ」と常に言っていた。でもやっぱり、球団の理解がなかったんだねぇ。思った補強もされず、映画業界もだんだん下火になって、ついには水原さんも去った。

「実は阪神移籍で決まっていた。しかし巨人の話が出たときに、吉田監督が『行け』と言ってくれた」―――

そしてチームは日拓、そして日本ハムへと身売りされ……。

張本
新しい球団になれば、人の入れ替えは付きものです。74年限りで大杉勝男、大下剛、白仁天が移籍して、残るは私です。やはり気持ちは荒みましたよ。そこで75年のオフに「もし不要なら出してほしい」と直訴すると、球団社長の三原脩さんが「希望する球団に行かせよう」と。男気のある方でしたよ。FAなどない時代に、そう言ってくれた。

それで巨人へ……。

張本
それが実は、私は阪神へ行くはずだったんです。当時の吉田義男監督が誘ってくれ ましてね。嬉しかったねぇ。だからすっかり大阪へ行くつもりで準備をしていました。住む家だって用意したのだもの。

そうだったのですか?

張本
それが突然、ある方を介して「巨人へ来ないか」という話がきたんです。驚きましたよ。強さへの憧れもあり、私も巨人ファンでしたからね。しかももう巨人入りが決定みたいなことを言うから、時間をくださいって慌てて吉田さんに連絡した。すると吉田さんは憎まれ口一つ言わず「ハリ、ええ話やないか。同じ東京なんやし、巨人に行けよ」と。そういう経緯があったんです。

そんなことがあったとは……。

張本
いまでも吉田さんとはその話になりますよ。「もしあのとき、ハリがウチへ来とったら面白かったなぁ」って(笑)。

歴史が変わっていたでしょうね。そして巨人、ロッテでプレーをし、3085安打という金字塔を打ち立てられました。

張本
自分でもよく打ったなとは思いますが、それでも毎年、一本出るまでは不安でした。その原動力はやはりハングリー精神だったでしょうな。それともう一つ、常に思っていたのが「自分を疑え」ということ。4安打してもそれは今日、相手の調子がたまたま悪かっただけで、これが当たり前だとは思わない。明日も同じことができると思わないでやってきたから、続けられたんですよ。

さて「野球つく」で復活する張本勲選手。対戦したい現役投手と言いますと?

張本
やはりダルビッシュ、岩隈、涌井、岸。彼らとは対戦もしたいし、自分のチームにも迎えたいね(笑)。そして、やはりいい捕手がいれば優勝を狙えるチームになる。いまなら里崎と細川、そして伸びているなと思うのが広島の石原ね。

ではそのバッテリーと、張本選手はどう対決しますか?

張本
プロとしては、私はやはり中距離バッター。広角打法と呼ばれましたが、実際、左右まんべんなく打ちましたよ。投手がいろんなところへ投げてきたからね。それに逆らわずに打ち返した結果です。だから彼らが相手でも、踏み込んで引っ張るようなことはせずに、コースに合わせてしっかり弾きたい。現役時代は足にも自信があったから、二塁打、三塁打を多く打ちたいですな。
張本 勲
張本 勲(はりもと・いさお)
1940年6月19日、広島県出身。浪花商高から59年に東映入り。1年目からレギュラーとなり新人王を獲得。翌年初の3割を打ち、3年目に初の首位打者に就くと、67年からの4年連続を含む計7度のタイトルに輝いた。東映・日拓・日本ハムと球団の過渡期を支え、76年には巨人へ移籍。ロッテに移った80年には、前人未踏の通算3000安打を達成した。81年限りで現役引退。23年間の通算成績は2752試合で打率.319、3085安打、504本塁打、1676打点。野球評論家として多方面で活躍している。90年に野球殿堂入り。