SEGA

野球つく!!

大人になった野球少年たちに贈る

スペシャルインタビュー

「通算3021試合出場」の日本記録保持者の名捕手 谷繁 元信

日本記録となる通算3021試合に出場した谷繁元信氏がセガゲームスの「野球つく!!」に登場。捕手として横浜、中日の2チームを支え日本シリーズには6度出場。監督兼任の年も含め現役時代の話を語っていただいた。

取材協力:新横浜プリンスホテル/取材・構成:永山智浩/写真:榎本郁也

その瞬間はドラゴンズが日本一になったという気持ちしかなかった

谷繁元信

「野球つく!!」をご覧いただきましたがいかがでしたか。

谷繁
 リアルですし、選手の特徴もうまく表現されていると思います。

あくまでイメージですが、打撃中心の横浜、投手力中心の中日と両端のチームに在籍していましたが、谷繁さんの戦い方の好みはありますか。

谷繁
 いろいろな考え方はあるでしょうね。勝つ確率を上げるんだったら、バッテリーを中心とした守りの野球だと思います。お客さんの目線で見れば、ガンガン打つ野球が面白いとは思うんですよ。投打ともに兼ね備えるのは理想ですが、なかなかできないですよね。

2014年は監督兼任でしたが、苦労した部分もあったと思います。

谷繁
 ある程度チームを見て把握していると思ったのですが、専任になって見えてない部分があったことに気がついたんです。選手たちには申し訳なかったですね。
谷繁元信

やはり兼任と専任では違いがあるんですね。

谷繁
 選手をやりながらでは見られる範囲に限界があったんですね。やっているときは全部見て把握していると思ったんですけどね。

谷繁さんの前の監督兼任は、古田敦也さん(ヤクルト=06~07年)、その前は野村克也さん(南海=70~77年)と捕手が続いています。やはり捕手は全体像を常に見ているということですね。

谷繁
 そうですね。それができなければ捕手は務まらないですからね。

捕手はレギュラーを獲るのが特に大変なポジションですが、谷繁さんは高卒1年目の開幕一軍をつかみました。

谷繁
 チームも弱く、しっかりしたレギュラー捕手もいない状況でしたからね。前年は市川(和正)さんと若菜(嘉晴)さんの2人体制で、開幕直前に若菜さんが日本ハムにトレードされて、僕を育てていくというチーム方針で一軍に入れてもらったんでしょう。でも1年目から一軍にいたことで、そのうちレギュラーになれるだろうと安易な考えが生まれました。その後、スタメンで使われたり使われなかったりが続いたんですよ。4年目の夏ぐらいに捕手として信頼されていないな、このままの自分だったらそのうちクビになるなと思ったんですよね。そういう気持ちが芽生えてやっと真剣に考えるようになりましたね。それで僕がレギュラーを獲れたなと思ったのは96年です。
谷繁元信

その年は初めて3割を打ったときですよね。

谷繁
 そうですね。93年に大矢(明彦)さんがバッテリーコーチで来て、何とか僕をレギュラーにしようとして使ってもらいました。96年、大矢さんが監督になられ、チームの順位は5位でしたが、1年間フルに出て、3割も打ち、やっと認められるようになったなと思いました。

翌97年はチームも2位に躍進しましたよね。

谷繁
 その年は9年目だったんですが、それまでの8年間でAクラスは1回(90年=3位)しかなくて、そのときはあまり出てなかったので、実質初めてのAクラスでした。僕と同世代のメンバーで強くなっていった年で、やっと上を狙えるチームになった思いがありましたね。

98年は優勝、日本一に輝きました。

谷繁
 それまでは漠然と「やるからには優勝を目指す」と言ってましたけど、この年は「優勝」が明確な目標になりました。全員が同じ目標を向いていた感じでしたね。

優勝の味はいかがでした。

谷繁
 プロの試合で、勝って泣いたのはあの1試合だけです。悔し涙は人知れずいっぱい流しましたけど(笑)。
谷繁元信

日本シリーズでも西武に4勝2敗で勝ち日本一になりました。初のシリーズはいかがでした。

谷繁
 お祭り騒ぎでした。僕は負ける気がまったくなくて、普段どおりやれば勝てるだろうという気持ちでした。

ペナントレースを勝ち抜いた自信ですかね。

谷繁
 まあ、そうなんでしょうね。日本シリーズが初めてだったんで、怖さを知らなかったということですかね。それから横浜ファンがすごかったんですよ。横浜スタジアムでは、西武のファンは僕の守備位置からレフトを見るとわずかなんですよ。西武ドームでも65㌫、少なく見積もっても55㌫は横浜ファンだったと思います。それが心強かったし、ものすごく力になりましたね。

横浜に移ってからは初めての優勝でしたしね(60年の優勝は川崎)。

谷繁
 38年ぶりですよ。僕はまだ生まれてませんからね。

誇れるのは通算1000打点

日本シリーズは、中日に移籍してからは5度経験してますよね。

谷繁
 ドラゴンズでの日本シリーズはプレッシャーがありました。04年のときは選手での日本一経験者はほとんどいなかったと思います。優勝は経験してるんですけどね。だから、何とかしなければという変なプレッシャーでしたね。
谷繁元信

この年は中日の攻撃力もすごく、打ち合いの試合もありましたね。

谷繁
 西武も良い打者が多かったんで、スコアラーの資料も全部覚えて、それを使いながらやったんですけど、実戦では微妙に違うところがあって、それで苦しみましたね。途中でシミュレーションをし直して、何が抑えられる確率が一番高いかを全部書き出しましたね。

何戦目で修正したんですか。

谷繁
 第4戦ぐらいです。4~6戦はうまく攻めてると思いましたね(2、1、4失点)。

06年はリーグ優勝、07年は初のクライマックスシリーズで、シーズン2位から勝ち上がり、ともに日本ハムとの日本シリーズでした。06年は1勝4敗で敗れてしまいました。

谷繁
 この年は自分が持っている情報と違って、面食らいましたね。

当時は交流戦も始まっていて、1チームとは6試合対戦してましたよね。

谷繁
 同じように攻めたんですけど、それを打ち返されましたね。
谷繁元信

07年は4勝1敗で日本一。初戦の敗戦(1対3)も2安打しか打たれてないんですよね。この年は思いどおりに行った感じですか。

谷繁
 そうですね。初戦にセギノールに3ランを打たれて確信した感じですね。その後はセギノールを意図的に歩かせたりもしましたから。

そして第5戦は完全試合でした。

谷繁
 6回ぐらいでパーフェクトに抑えてるなと気がつきましたね。山井(大介)のスライダーのキレが良くて、要所要所でスライダーを使って打ち取りに行ってました。相手がそれを意識しだし、真っすぐを投げると今度は差し込まれるんですよ。

スイスイ行った感じですよね。8回まで86球ですからね。

谷繁
 8回が終わってちょっとキレがなくなってきた感じでしたね。ベンチに戻って森(繁和)コーチが「どうだ」と聞いてきたので、「勝つんだったら代えたほうがいいと思います」と伝え「でも本人に聞いてやってください」とも言いました。山井も指のマメがつぶれて目いっぱいだったようで、岩瀬(仁紀)に代わったんです。

完全試合で日本一になるというのは捕手としては最高の気分じゃないですか。

谷繁
 そういう思いより、その瞬間はドラゴンズが日本一になったという気持ちしかなかったですね。52年ぶりでしたから。僕自身もドラゴンズで3回目のシリーズでやっと日本一になれたので。

この試合は語り継がれる試合ですよね。

谷繁
 完全試合、それも投手2人なんて聞いたことないですよね。それを受けてたんですもんね、僕。すごいじゃないですか(笑)。
谷繁元信

谷繁さんは通算3021試合出場の日本記録を樹立していますが、この数字についてはどう思いますか。

谷繁
 これは積み重ねの数字ですよね。目の前に記録が近づいたときには目標にはしましたけど、プロ入りのとき、1000試合、2000試合のとき、野村(克也)さんが持っていた3017試合を目指したわけではないですからね。

もう一つ通算2108安打については。

谷繁
 これも長くやった結果ですね。通算打率・240ですから。僕の中で誇れるのは通算1000打点を超えていることです。安打の半分ぐらいは打点に貢献している感じですからね。

谷繁さんは八番が最も多く通算1850試合。その打順で1000打点を超えるのはすごいですね。

谷繁
 横浜のときは前に良い打者がそろっていて、ランナーがいることが多かったので、年間50打点を目標にしていました。いま八番で50打点を挙げるのはいないんじゃないですかね。

高校時代はスラッガーで、プロでもそのスタンスで行きたい気持ちもあったんですか。

谷繁
 ありましたね。ある程度の自信はあったので、投手に慣れればそのうち打てるだろうという気持ちでした。でも、先ほど言ったようにその安易な考えがダメでしたね。いま思うともっと早く気がつけば良かったと思うこともあります。だから現役選手は、僕が過ごした「ムダな時間」をなくしてほしいです。やめたときに悔いのないようにやってもらいたいと思いますね。
谷繁元信
たにしげ・もとのぶ
1970年12月21日、広島県出身。江の川高3年夏に甲子園に出場しベスト8。ドラフト1位で89年に大洋に入団。1年目から頭角を現し、レギュラーとなり98年の横浜の38年ぶりの日本一に貢献。02年にFAで中日に移籍。4度のリーグ優勝、07年の日本一に貢献した。14年から監督兼任になり、翌15年で現役を引退。16年は専任で監督を務めた。ベストナイン1回、ゴールデングラブ6回。通算成績は、3021試合、2108安打、229本塁打、1040打点、打率.240。