SEGA

野球つく!!

大人になった野球少年たちに贈る

スペシャルインタビュー

「いてまえ打線」をけん引した和製スラッガー 中村 紀洋

90年代後半から近鉄で本塁打を量産し、生涯現役を貫く中村紀洋氏が、セガゲームスの「野球つく!!」に新たに登場。近鉄でのリーグ優勝や中日時代の日本シリーズMVPの話などを語っていただいた。

取材協力:ANAクラウンプラザホテル神戸/取材・構成:永山智浩/写真:牛島寿人

松坂からの逆転サヨナラ弾は僕も、ファンも印象に残る一発だった

「野球つく!!」をご覧いただきましたが、いかがでしたか。

中村 紀洋
中村
 僕らがゲームをやり始めたころ、名前は実際のプロ野球選手でしたが、すべて同じ動きでしたよね。「野球つく!!」は動きも細かいし、個々の選手の特徴がつかめていて、すごくリアルにできているなと思いました。

中村さんはいろいろなチームを経験していますが、どんなチームを作ってみたいですか。

中村
 ファンが見ていて面白いチームですね。細かい野球も必要ですが、「ここで打ってほしい」というときに打てる選手がいる。そういう選手をそろえたいですね。

最初に入団した近鉄の「いてまえ打線」もそんなチームでした。プロへの憧れを抱いたのはいつごろからですか。

中村
 小学校3年のときからリトル・リーグで野球を始めたんですが、もうそのときには憧れていましたね。
中村 紀洋

憧れの選手は?

中村
 阪神の掛布(雅之)さんのファンでした。6年生のとき、たまたま親父が甲子園の阪神対巨人のバックネット裏のチケットをもらって見に行ったら、ちょうど「バックスクリーン3連発」のときだったんですよ。

あの「伝説」をすごいところで見ているんですね。掛布さんに憧れていて左打ちにはしなかったんですか。

中村
 野球をやる前にソフトボールをやっていて、そのときは左打ちでした。でも左ではパワーがなくてボールが飛ばないんですよ。リトル・リーグ入りする直前に、親父から右で打ってみろと言われて、やって見たら飛距離が倍ぐらい違ったので、そこから右になりました。

それが「スラッガー・中村」の誕生だったんですね。近鉄に入団して1年目の6月12日のダイエー戦で一軍デビューと早いですよね。

中村
 仰木(彬)監督のお陰ですよね。初打席は代打で出場して、本塁打しか狙ってなかったですね。とにかく思い切ったスイングをアピールしたかったですから。

中村 紀洋

翌日はスタメンでしたね。

中村
 それはビックリしました。そうそうたるメンバーでしたからね。相手にも門田(博光)さんやブーマーがいて、テレビで見ていた人が間近にいると思いましたから(笑)。

6月18日の日本ハム戦ではプロ初本塁打を放ちましたよね。

中村
 7打席目ですね。それまではまったく打てなかったので、そろそろ二軍かなと思っていたんですが、スタメンで左の河野(博文)さんから打ちました。忘れられない1本です。

左投手は得意だったんですか。

中村
 このころは出るチャンスは左投手しかなかったので、タイミングの取り方を変えてみたり試行錯誤していましたね。レギュラーを獲るまで左投手は嫌でしたけどね。

仰木監督は中村さんを将来のクリーンアップ候補として育てていたんですね。

中村
 いや、それはないと思いますよ。基本的にみんなと同じようにバント、エンドラン、右打ちの練習をしてましたから。


通算400本塁打、2000安打は上出来

見ているほうは、絶対に将来の主砲という感覚でしたが。打順は何番が好みでしたか。

中村
 三番です。まずは初回に絶対に回ってくる。それから四番にいいバッターがいると勝負してくれるんで、楽な打順でしたね。

中村 紀洋

優勝した01年は三番・ローズ、四番・中村でしたよね。

中村
 もともとは逆で、五番に左の礒部(公一)が入ったことで、左が続くと左投手をリリーフさせてくるので、僕が真ん中に入ったんですよ。

ローズはこの年、55本塁打の日本タイ記録をマーク。目の前でこれだけ打たれてやりづらくなかったですか。

中村
 そうなんですよ。僕も46本も打っているのに本塁打王になれなかったんですから(笑)。

でも、打点王は獲りましたよね。

中村
 2点差でローズに負けていたんですが、139試合目(140試合制)の初回、2人ランナーがいた場面で打席が巡ってきたので、ここしかないと思って本塁打を狙って3ランを打ち逆転しました。

素晴らしいですね。前の打者が55本も打つと、走者なしで打席を迎えることも多いですよね。それで132打点ですから。

中村
 ローズが四球で出たときはラッキーなんですよ。彼は打ち気にはやってボール球に手を出すこともあったので「あんな球は打てないから手を出すな」とうまくなだめてました(笑)。ローズは131打点、礒部が95打点ですから(クリーンアップ3人で358打点)、普通は優勝しますよ。でも投手力が悪く、やっと優勝にたどり着いた感じでしたね。

優勝したチームではワーストの防御率(4・98)でしたよね。

中村
 開幕戦(日本ハム戦)で、この年のドラマは始まっていて、僕の同級生(門倉健)が初回にいきなり5点を取られたんですよ。それを逆転して10対9で勝ったんですけど、ファンからすれば、これが「近鉄の試合や」という感じになっていたんでしょうね。何が起こるか分からないというチーム作りを「野球つく!!」でしてみたい(笑)。

終盤、ダイエー、西武との熾烈な優勝争いの中で、西武戦の9回二死、松坂大輔から劇的な逆転サヨナラ2ランを打ち、マジックを1としましたよね。


中村 紀洋
中村
 僕が打たなかったら、西武が優勝してたかもしれないですね。ローズが55本を打った試合で、彼は「絶対に勝って記念すべき試合にしたい」とベンチで言い続けてたんですよ。本当は新記録とともにローズに決めてほしかったんですけど、三振に倒れネクストですれ違ったときに「ノリ頼む」と言われているように受け取ったんですよ。ファンの思いもあったし、ここで打たなきゃいままでの苦労が水の泡じゃないですか。カットボールで2ボール。もう1球同じ球でストライクを取りにくると思って、目を つぶって振ったんですよ。松坂君も人生で初めて打たれたサヨナラ本塁打と言ってましたし、彼も、僕も、ファンも印象に残る一発だったと思います。

次のオリックス戦で2対5の9回裏無死満塁で、北川博敏が「代打逆転満塁サヨナラ本塁打」で優勝を決定しました。こんな劇的な優勝はほとんどの人が味わえないと思います。

中村
 はい、そうですね。でもビールかけは、その月にあったアメリカ同時多発テロの影響で自粛したんです。なので初めてビールかけを経験したのは中日で日本一になった07年でした。全然、やり方が分からなかった(笑)。

その後、ドジャースなどを経て、07年に中日と育成契約を結び、支配下選手登録→レギュラー→クライマックスシリーズ(CS)→日本シリーズと上り詰めましたよね。

中村 紀洋
中村
 07年は中日に拾われた形になり、数字的にはまあまあやったなと感じてはいましたが、チームは2位。でも(その年から始まった)CSを勝ち上がって日本シリーズに出たいと思ってました。そこで恩返しをしたいと感じていました。

5試合で打率・444、4打点でMVP。日本一を決めた5試合目は継投の完全試合。この試合はしびれたんじゃないですか。

中村
 しびれましたよ。ヒットコースに飛んでも荒木(雅博)が飛び込んでアウトにしたり、最悪でもノーヒットノーランにはしたいので、ヒット性でもわざとエラーに見せようと、そんなことを考えていましたよね(笑)。53年ぶりの日本一になって、MVPを獲り、ちょっとは恩返しができたのかなと。ヒーローインタビューのとき、ファンの声援がやっと認めてくれた感じで、感無量でした。

野球選手冥利に尽きますよね。DeNA時代の13年5月5日の中日戦では通算2000安打も達成しました。

中村紀洋

中村
 まさかそこまで野球ができるとは思ってませんでした。数字が見えてきたのでクリアしたいとは思いましたが。残り5本でナゴヤドームに乗り込んでの中日3連戦。初戦は1本しか打てず、ナゴヤでは無理かなと思いましたね。でもドラゴンズファンの前で打ちたいし、次は広島で家族も来られないし、ここで決めたいと2戦目は意地で2本打ちましたよ。3戦目も3打席目に1本打ってリーチ。4打席目は凡打したんですけど、8回に打線が爆発してくれて、回ってきたんですよ。ここで決めないとダメだなと思い、苦手な中田(賢一)だったんですが、ミートして打てましたね。

本塁打404本という記録は?

中村
 もうちょっと打てたかなと思いますが、400本塁打、2000安打はなかなかいないんで(15人)上出来かなと。

最後に思い出に残る試合はありますか。

中村
 松坂君から打ったサヨナラ本塁打も思い出ですし、ひとつに絞るのは難しいですね。中日に入団した年の開幕戦(ヤクルト戦)で同点タイムリーを打ったんですよ。その後、代打の立浪(和義)さんが決勝タイムリーを打ち、2人でお立ち台に立ったんです。僕の中ではファンは「中村はよそ者」だと思っていると感じたので、そのヒットで「中日・中村紀洋」を認めてくれたような気になったのが、すごく印象に残っています。
中村紀洋
なかむら・のりひろ
1973年7月24日、大阪府大阪市出身。府立渋谷高2年時に四番として甲子園に出場。ドラフト4位で92年に近鉄に入団。94年にはサイクル安打を達成し、95年に三塁のレギュラーに定着。00年に39本塁打、110打点で2冠を獲得し、01年は打点王となりリーグ優勝に貢献。05年にはドジャースで17試合に出場。06年はオリックス、07年は中日に移籍し日本一に貢献。09年は楽天、11年から14年まで横浜DeNAでプレーした。日本での通算成績は、2267試合、2101安打、404本塁打、1348打点、打率.266。