SEGA

野球つく!!

大人になった野球少年たちに贈る

スペシャルインタビュー

ドラゴンズ魂のエース 川上 憲伸

日米通算125勝をマークした川上憲伸氏がセガゲームスの「野球つく!!」に登場。 現役時代は中日ドラゴンズの絶対的エースとして君臨した川上氏が「野球つく!!」の熱狂的ファンだった事実を明かした。

取材協力/名古屋栄 東急REIホテル 取材・構成/平尾類 撮影:佐々木譲

大学時代からの宿敵だった巨人の高橋由伸監督を抑えることに執念を燃やした現役時代、今年1月に亡くなった恩師・星野仙一楽天副会長に感謝の思いなど濃密な野球人生を語って頂いた。

「野球つく!!」をご覧頂きましたが、いかがでしたか

川上憲伸
川上
 スマートフォンとPCで連動してできるんですね。自分だけの街も作れるし、楽しそうですね。常に最新版のデータで楽しめるところがいいですし、時間があるときは試合シーンを見てチームや選手の調子をチェックしてみたいです。選手によってコストも違うから上限を超えないように組み合わせを考えないといけないですね。実は以前にドリームキャスト(家庭用ゲーム機)の「プロ野球チームをつくろう!」をよく遊んでいたんですよ。自分にとって一番好きなゲームでしたね。

現役時代に「プロ野球チームをつくろう!」をやっていたんですか

川上
 そうですね。特に一番やりこんでいたのが2月の春季キャンプ中でした。面白くて当時はついつい徹夜でやっちゃうぐらいハマっていました。

子供の頃に野球とふれ合うきっかけは何だったのでしょうか

川上
 巨人の原辰徳さんの影響が大きかったです。子供の時に友達とおもちゃ屋さんに行ったのですが、僕は原さんのサインボールを買ったんですよね。500円でした。まだ覚えています。その時は実家の徳島で主に巨人戦しか見られなかったので、原さんはあこがれの存在でした。
川上憲伸

徳島商では3年夏に甲子園に出場。「4番・ピッチャー」で県勢33年ぶりベスト8進出の原動力になりました。

川上
 中学まではプロ野球選手になることが目標でしたが、高校(徳島商)の時はプロ野球は全く考えませんでした。甲子園に行って勝つことだけ。高校で野球人生が終わってもいい、体が壊れてもいいぐらいの気持ちで投げていましたね。

明大進学後は2年春からエースに。六大学通算28勝を挙げました。同級生の慶大・高橋由伸・現巨人監督との対決で盛り上がりましたが、どのような心境で対戦していたのですか?

川上憲伸
川上
 やっぱり由伸に負けたくない気持ちは強かったですね。彼は当時からスターだったので。慶応は女性の黄色い声援が多いんですよ。明治は違いますから。男性の応援が多くて硬派な感じでした。色々な思いで彼には負けたくないって思いましたね。

各球団が川上さんの獲得に興味を示す中、中日に逆指名でドラフト1位入団しました。

川上
 今だから言えますけど、徳島から出てきて東京を離れたくない気持ちが強かったんです。プロ野球もプレーするなら関東の球団と考えていました。先程お話ししたように、僕は原さんにあこがれて巨人ファンでしたからね。中日は巨人の前に立ちはだかるにっくき相手でした。でも場所は覚えていないのですが、当時中日の監督だった明大の先輩の星野(仙一)さんに「来いよ、一人前にしたるわ」と言われて。もう「はい」としか言えなかったです。オーラ、雰囲気が凄いんですよ。

星野さんも現役時代は巨人入りを熱望していましたが叶わず、中日で「打倒・巨人」に燃えた野球人生でした。川上さんも明大から中日にドラフト1位で入団した星野さんの生き様と重なりますが。

川上憲伸
川上
 そうですね。由伸が巨人に行ったことも大きかったです。「絶対負けたくないな」って。僕は星野さんでなければ中日に行ってませんでした。星野さんがいなかったら新人王も獲れていないし、今の自分はいない。感謝の思いしかないです。

感情を前面に出す「魂のエース」の投球スタイルも星野さんと重なります。プロ1年目は14勝6敗、防御率2.57。熾烈な争いを制して見事に新人王に輝きました。

川上憲伸
川上
 プロに行っても由伸には絶対負けたくなかったし、新人王は絶対に獲りたかった。あの年は広島の小林幹英さんがセットアッパー、抑えで(9勝18セーブの)大活躍、阪神の坪井智哉さんも首位打者を狙える(新人史上最高の)打率(.327)を残していた。98年は新人の活躍が凄くて。でも僕は由伸を一番意識していましたね。由伸が打率3割を打ったから自分はどれだけ勝てばいいかを逆算したり。1年目からプロ野球人生で由伸の存在がずっと刺激になっていた。それはありがたい部分でもありました。年俸、人気…彼には負けたくないという思いでずっとやっていましたね。

02年8月1日の巨人戦(東京ドーム)では史上70人目のノーヒットノーランを達成しました

川上憲伸
川上
 よく覚えています。確か松井秀喜さんが前日の試合で本塁打を2本打っていて。巨人は由伸がいて江藤智さんがいて。他にも凄い打者ばかりだった。僕自身も巨人戦9連敗していたので、登板前日に逃げようかなと考えるぐらいでしたね。投げたくなかったですよ。でももう失うものはないと開き直りました。変な重圧がなかったから良い結果が出たのかもしれないです。

09年にメジャー挑戦するまでの11年間で星野仙一さん、山田久志さん、落合博満さんの下でプレーしましたが、それぞれの監督の印象はいかがだったでしょうか。

川上
 正直一番やりやすい監督だったのは山田さんでしたね。星野さんは…怖かったですね。もちろん相手と戦っているんですけど、ベンチで怒っているのかなとチラっと見たり。わかりやすく言うと昭和のお父さんですね。外で悪さをしたら家で怒られるみたいな感じでした。
川上憲伸

落合監督就任1年目の04年は17勝7敗でMVP、沢村賞、最多勝を獲得。06年も17勝7敗、194奪三振で2度目の最多勝、最多奪三振のタイトル受賞とリーグ優勝に貢献しました。

川上
 ご存知の通り、落合さんは星野さんと対照的に感情を表に出さないんです。でも、ポツリと少ない言葉で的確なことを言う。監督就任1年目に、春季キャンプ初日前夜の出来事はまだ覚えています。「体調はどうだ」と聞かれたので、「はい、ここ最近で一番いいです」と答えたら、「そうか。開幕(投手)はないから」と言われて。もう?が頭の中に何個も出てきますよね。落合さんは人の心を変化させるのがうまいんですよ。

落合監督と印象に残っているやり取りはありますか?

川上
 ある時に「次の登板は中7日で巨人戦、その次は中4日で阪神戦」と言われたんです。なんでこの登板間隔なんだろうと思ったら、「おまえがいなきゃ誰がいる?代わりがいるなら連れて来い」と言われて。そう言われたら何も言えないし、「マジかよ。でもしっかり投げないと」と責任感を感じる。あの時は巨人戦にシーズンで8試合、阪神戦は7試合登板して下位のチームに一度も投げない年もありました。しんどかったですよ。投げる試合が常に強い相手で息が抜けない。でもモチベーションは高かった。常に優勝争いしていたし。おのずと結果が出ていましたね。

08年オフに海外フリーエージェント権を行使して米国挑戦を決断しました。

川上憲伸
川上
 メジャーに行きたい気持ちはずっとありましたね。中日時代にアリゾナのキャンプを観に行った時に雰囲気が凄くいいなって。02年の日米野球でも凄い打者と対戦していきたい気持ちがさらに強くなった。実際に行って苦労しかなかったけど、行ってよかったです。

米国での3年間は先発だけでなく、不慣れな救援登板でも結果を残しました。右肩痛にも悩まされましたが振り返ってみていかがだったでしょうか

川上憲伸
川上
 野球への考え方が日本と米国は全く違うんですよね。僕は小学6年生から本格的に野球を始めましたが、その前は野原やでこぼこの畑で遊びの野球をやっていた。その楽しい感覚に米国は近かったです。日本はプレー以外の部分も周囲の目を気にする。例えば自分が活躍してもはしゃいだら、試合に出られなくなるとか考えるじゃないですか。米国はそうじゃない。プレーで結果を出せばそれでいいみたいな感じで。だから自分の打順が回ってくるまで他の選手にちょっかい出したりしているんですよ。でも打席に入ったらスイッチが入る。凡打したらバットをたたき折るんですけど、またリラックスした空気に戻る。救援する投手もそう。他の選手と楽しそうに話して、登板のタイミングが来たら気合を入れてマウンドに行く。周りの目を気にせずに野球をしている環境でしたね。凄く新鮮でした。

12年に中日に復帰しました。どのような経緯で決断したのでしょうか

川上憲伸
川上
 右肩は米国の時からずっと痛かったんです。そのまま日本に戻らず、野球を辞めようかなとも思いました。メジャーに行く前に中日で活躍したイメージで終わったほうがいいかなって。でもこのままじゃ人生終われないなって思い直したんです。当時はまだコーチや評論家になる選択肢は浮かびませんでした。米国から戻る時に他球団からも獲得の話はありましたが、お世話になったトレーナーもいるし自分の体のことをよく知っている方たちが中日にはいる。そこが一番でしたね。

15年9月に右肩を手術。同年限りで中日を退団後も現役復帰を目指しました。17年3月に現役引退を表明しましたが、現役生活を振り返っていかがだったでしょうか

川上
 濃かったですね。悔いがないと言えばないけど、(現役でやっている選手を見ると)羨ましさだったり寂しさだったり。現役の時は楽しくないんですよ。マウンドに上がる前日から嫌だなあって。あの緊張感をもう味わなくてもいいという思いもある。複雑な感情ですね。でもこう色々考える時点で今でも未練はあるのかな。プロ野球のおかげで人生を作っていけたので感謝の気持ちが強いですね。
川上憲伸
かわかみ・けんしん
1975年6月22日、徳島県徳島市出身。徳島商で3年夏にエースで甲子園出場してベスト8。明大進学後も3度のリーグ優勝に貢献した。97年に逆指名のドラフト1位で中日に入団。98年に14勝で新人王を獲得し、04、06年はともに17勝を挙げてリーグ優勝に貢献。08年に日本代表で北京五輪に出場した。09年にFA権を行使してアトランタ・ブレーブスに入団。12年に中日復帰し、14年に球団最多の7度目の開幕投手を務める。15年限りで退団して右肩痛からの復帰を目指したが、17年3月に現役引退を表明した。 NPB時代の通算成績は275試合登板で117勝76敗1セーブ、防御率3.24。最多勝2回、新人王、MVP1回、沢村賞1回。MLB時代の通算成績は50試合登板で8勝22敗1セーブ、防御率4.32。